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【雑感】非モテ男性は暴力性を出せばモテるか

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こんにちは。婚活コンサルのひかりんです。
またしても話題に乗り遅れたちょこさんからちょっと明日までに概要をまとめておいてと言われた気がしたので書きました。

今回もひどいスペースだった

ぶっちゃけ議論になっていなかった。
今回は最初の40分のすもも氏と狂人氏のパートに絞って解説する。
正直すもも氏と小山氏なら面白い議論が展開されるのでは?と期待していたが、議論とは呼べないひどい内容だった。

私の中のちょこさんがブチ切れていた。

前回のスペースとはまた違った意味で議論になっていなかったので、その理由と対策を書いていこうと思う。

この議論についてどちらの味方とか敵とかはない。なので主張そのものに対する私の見解は書いてはいない。

なお、今回のスペースは録音が残っていて下記リンクから全て聞けるので、興味がある人は是非聞いてみてほしい。
https://twitter.com/i/spaces/1BRJjnEVPNoJw?s=20

さてこの記事で着目したいのは小山氏が取り上げているこの部分である。

 

小山氏の感想ではなく、貼ってある画像の文章に着目して欲しい。
これはスペースのログの抜粋で、

ナンパが暴力じゃないなら非モテ男性は女性に声をかけるのか?

というテーマで二人が話し合っている。
このテーマについて議論が成り立っていなかったので、何が悪かったのかを解説していきたい。

ざっくり説明すると

すもも氏の主張

・ストナンは暴力ではない。
・非モテも暴力じゃないって認識すれば縛られなくなって動けるようになる
・女性へのアプローチが加害と思っている非モテ男性の心は変えることはできる

小山氏の主張

・暴力じゃないって言われて、そうかやった!ストナンしようとはならない
・女性にアプローチすることを恐れている非モテ男性は、加害じゃないと言われても変われない

ここでナンパが実際に広義の暴力であるか否かは関係ない。
ここでの論点は「非モテ男性が女性へのアプローチが加害性のないものであると認識した場合に変われるのか」、つまり行動できるようになるのかである。

小山氏の主張は明確である。彼の主張は
「非モテ男性は女性へのアプローチに加害性がないと認識したとしても変われない」

である。これに対してすもも氏は「変われる」と主張した。

つまりこの二人は意見が相違している。ここまでは問題ない。
意見が異なるのはよくあることである。

しかしこの後の議論はかみ合わなかった。その原因は

  1. 根拠とロジックに基づいた意見を発せていない
  2. ケースとモデルを混ぜて話している
  3. 変化の意味が効用と態度変容の両方の意味で使われている

の3つであると考えられる。

1つ目の問題は小山氏の「非モテはナンパに加害性がないと認識したとしてもナンパなんてできない」という意見に対しては「私はそうは思わない」とすもも氏が返すが、その根拠がスペース中では「私はそうは思わない」という個人的な意見に留まっていた点だ。

意見を言うのは自由であるが実りあるディスカッションをしたいなら一定の根拠やロジックが必要だ。

そうでなければ「非モテは淘汰されるべきである。なぜなら私はそう思うからだ」「小山氏の言っていることは全部間違いである。なぜなら私がそう思うからだ」のような主張が通ってしまう。

エビデンスやロジックのない意見を返されると議論相手は「なるほど、あなたはそう思うのですね」以外に返しようがないため、そこで議論が止まってしまう。これが議論にならなかった1つ目の理由である。

2つ目はケースとモデルの混合である。

小山氏は「女性にアプローチすることを恐れている非モテ男性は、加害じゃないと言われても変われない」の根拠として「非モテはナンパに加害性がないと認識したとしてもナンパなんてできない」と自らのフィールドワークからの経験則をあげていた。これ自体は問題ない。このようなケーススタディは社会学や文化人類学でよく使われる手法である。

この事例ベースの根拠に対してすもも氏は

「モテってナンパだけじゃないですよね。ナンパの話をされても一般的なこととそんなに関係なくないですか」

と反論していた。残念ながらこれは反論になっておらず、そのため議論が続いてない。
なぜこれが反論になっていないのかそれはナンパの個別事例と一般論の間には

  • 一事例(ナンパ)では正しいが、一般論では成り立たない
  • 一事例(ナンパ)では正しく、一般論として成り立つ
  • 一事例(ナンパ)は間違いで、一般論でも成り立たない
  • 一事例(ナンパ)は間違いだが、一般論としては成り立つ

の4つのパターンが存在し得るからだ。
つまり個別事例を完全に無視していきなり一般論で否定するのは意図していないにせよ論点ずらしになってしまう。回答するなら上記4つのいずれかの立場に立つ価値で回答をしないと会話のキャッチボールが続かない。

3つ目は「変えることができる」の意味が双方で異なっている可能性がある点だ。
今回の文脈で

女性にアプローチすることを恐れている非モテ男性は、加害じゃない言われても変われない

の「変われる」には2つの解釈ができる余地がある。1つ目は男性にとってそれは女性へのアプローチを促す効用があるか?

もう1つは実際にアプローチするようになるのか?

である。実際にお互いがどのように考えていたかはわからないが、すもも氏は男性にとって女性へのアプローチを促す効用があると言っていて、小山氏はアプローチするかしないかの話をしている可能性がある。

だとすれば論点としては

  1. 効用はあるのか?
  2. 効用があるならそれはアプローチ引き起こすほどの効果か?

の2点になる。もしかしたら1では一致していて2が食い違っていたのかもしれない。
しかし今回はその意識のすり合わせはされなかった。

つまり今回の議論は

  1. 相手の事例研究というエビデンスがある意見に対してただの私の感想で返してしまっている
  2. 小山氏の主張である事例に対する結論を出さないまま一般論へ拡張していしまっている
  3. お互いの言葉の定義を確認していない

この3つがあいまって議論として成立していなかったのである。

どうすればよかったか?

今回の議論は片方が発した意見に対して、その定義の確認や気持ち以上の回答がされなかったことで議論がなりたたなくなっていた。よりよい議論をするためには

  1. ある主張に対してその言葉の定義を確認する
  2. 意見に対する賛成・反対・判断不能のいずれからの意見を言う
  3. その意見の根拠となるロジックを説明する
  4. そのロジックを受けた側は新しい情報を基に意見を更新または、ロジックへの反論を行う

 

今回の場合は小山氏は自らの事例研究に基づいて過去の経験について解説している。
(事例研究も立派な調査である)
つまり小山市の観測範囲では「ナンパ」に関してはエビデンスに基づいて動けないと非モテ男性は動けないと主張してる。
これに対してすもも氏としては「ナンパでなくてもいい」と返しているがこれは先程説明したようこれは個別事例にたいする一般論での反論であり、反論として成り立たない。

議論を成り立たせるにすもも氏が取るべきだった選択肢は次のいずれかであろう。

  • エビデンスそのものに疑いがあることを伝える
  • エビデンスまたはロジックに基づいた別の意見を伝える
  • 事例研究のエビデンスを認めた上でナンパは特殊事例のため一般化はできないことを論点にする

エビデンスそのものに疑いがあることを伝える

例えば彼は彼の実体験から結論を導き出している。しかしこの実体験そのものをスペース中に全く深ぼれていない。
もしすもも氏が小山氏の意見に反論するエビデンスはないが、彼の意見がどうも腑に落ちないというのでらば、そのデータソースそのものになにか問題が無いのかを確認するべきだ。
小山氏が故意に捏造するというケースももちろんありえるが、ここで確認するべきは彼のサンプルバイアスや解釈に間違いがないかをチェックすることである。

たとえば小山氏は非モテ男性は声掛けをしないとは言っているが、負荷が減らないとは言っていない。

これは本人に確認する必要があるが恐らく彼は負荷は減るがそれ以外のブロッカーがある、または負荷減少の量が少なく、声掛けの閾値を超えることはないと考えているのではないだろうか。

その場合例えば非モテと一緒くくることが雑であるという反論ができる。
つまり非モテというのはあくまで恣意的な1つのラベリングでしかないことから、実際には動く男性と動かない男性がいると考えて、その閾値とボリュームについて合意を取るための議論へも発展できただろう。その過程でお互いの非モテという言葉や変化の定義に相違があることが発見されるかもしれない。

なお討論と議論は違うものである。討論は予め立場を決めて持論を通すためのものであるが、議論は理解を深めることが目的である。
このような対応すれば小山氏は自分のバイアスに気づくかもしれないし、すもも氏はその根拠を理解して意見を変えるという選択肢をとれるのが議論である。

その意見と相反するエビデンスまたはロジックに基づいた別の意見を伝える

例えば経験的にもデータ的に非モテ男性が加害意識を持っているから行動しずらいという情報をもっているのであれば、それを伝えるべきである。

おそらく今回はすもも氏にそのデータがなかったことが推測される。
その場合は1 or 3の選択肢をとるべきであった。

また、データはないがデータを取れば反論できると考えているのであれば、今回は結論を出さずに、別途調査行い改めて議論をするという選択肢を小山氏に提案して別のトピックに移行することもできたはずだ。

事例研究のエビデンスを認めた上で正しいがナンパは特殊事例のため一般化はできないことを伝える

小山氏の観測範囲については認めることができるのであれば、論点を小山氏の事例研究が一般に拡張できるのか、できないのかに的を絞って議論するべきだった。

そのために、まずは小山氏の事例についての立場をすもも氏は明確にするべきであっただろう。もし個別の調査事例にも納得行かないのであれば前述2つの方向性で議論を行い、認めるのであれば認めた上で「それがどこまで一般性をもつか」という議題を提案するべきであった。

 

 

また小山氏は討論が目的ではないのであれば、すもも氏についてこれらについての意見を聞くべきだったであろう。議論は戦いではない自分が期待する議論になる意見がかえってこないのであれば、できるほうがそれを促す努力がしてもよかったのではないと思われる。

まとめ

議論をするときは

  • 意見を言うときは何かしらの根拠またはロジックを説明する
  • 論点はずらさない
  • 言葉の定義を最初に合わせる

この3つを意識することが大切です。
この記事をみたちょこさん(@ChoConejito)がスペースの録画をきいてコンサルらしく、感想及び解決策をさらに書いてくれる予定ですので楽しみにまっていてください。

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